第8話 「伝えたい言葉」
それぞれの部屋が連なる廊下を出てさまざまな部屋をキトはフェリアに案内をしている。どの場所も共通していることは、白を基調としている空間で、差し色に青い色が使われていることだった。
みんながゆったりと過ごせそうな大きな部屋を出て、次の部屋へ向かった。
「で、ここが食堂。今の時間なら多分──」
「あれ、ふたりともどうしたんですか?」
ひょこりと食堂のキッチンからキースが顔を出す。
にこにことしているキースは、可愛らしいエプロンを身に纏い、手にはおたまを持っていた。
「キースさん。彼女にここを案内しているところなんです」
そんな格好に驚きもせずに、さも当たり前のようにキトはキースへ言葉をかける。なるほど、と薄緑の頭が縦に振られれば、閉ざされた目蓋がフェリアを見つめた。
「……フェリアさんは甘いものはお好きですか?」
「え、あの……すき、ですけど……?」
「ならよかった。少し休んでいてください。今、持ってきますから」
にこりとキースは笑いながらテーブルを指す。
急に声をかけられたことと、続けられた言葉にフェリアが首を傾げた。
「持ってくる……? なにを……?」
「次第にわかるから、少し休んでいこう。疲れただろう?」
「あ、はい。キトがそう言うのなら」
がたりとキトはキースが指したテーブルに添えられている椅子に腰を下ろす。フェリアも内心は不思議さでいっぱいだったが、キトの向かい側へと座った。
腰を掛けて少しだけ他愛のない会話をして待っていれば、やがて満面の笑みを浮かべたキースが手に何かを持ってやってきた。
「お待たせしました。他国の名産物で作ったケーキです。お口に合えば嬉しいのですが……」
ことりと置かれたのは可愛らしい装飾が施されているケーキだった。黄色のケーキ本体に、金の蝶が舞っているようにチョコレートで出来た蝶の飾りに金粉が散りばめられている。
それにぱああっとフェリアは顔を明るくして小さく呟く。
「か、可愛いです……! 食べるのがもったいないくらい……」
「ふふ、ありがとうございます」
「食べたらもっとびっくりするかも。キースさんの料理はとても美味しいから」
「じゃあ……もったいないけど、いただきます」
ぱん、と丁寧に手を合わせてからフェリアはケーキを口に運ぶ。するとすぐに顔を綻ばせて、言葉もないままばくばくと食べ終える。
そんな彼女を、他のふたりはにこにこと顔に笑みを浮かべながら見つめていた。
視線を感じたフェリアは、そこでやっと我に帰る。
「美味しくて何も言わないで食べてしまいました……」
すみません、と漏らすフェリアに、キースは口元に手を添えながら、ゆるりと柔らかく笑った。
「いえ、嬉しいです。美味しくてよかったです」
「どうしてこんなにスポンジが柔らかくて、クリームは優しい味なのか気になりますが……」
「スポンジはその国の名産物を入れると柔らかくなるんです。クリームはそんなスポンジに負けないようにしているんですが、しつこくても飽きてしまいますからね。砂糖を控えめにしてみました」
「盛り上がっているな」
きゃあきゃあと話すふたりをキトは優しく見つめる。
しばらくしてその視線に気がついたフェリアが顔を真っ赤に染めた。
「ごめんなさい……。夢中になると、止まらなくて……」
「いいよ。そんな君を見ていると飽きないから」
にっこりと笑いながら言うキトに、フェリアの顔の赤みが深みを増す。ぎゅっと震える手でスカートを握り、潤めた瞳でじとりと見つめた。
「っ……! いじわる……です」
「はは、ごめん」
赤らめるフェリアの頬に付いているクリームを掬い、「ついてた」と付け加えて更に笑うキトを見てキースも微笑んだ。
-*-*-*-
「また来てくださいねー」
ふり、と手を振りながらキースはふたりを送り出す。フェリアは頭を下げて、キトは片手を挙げて振り返した。
「少しは休めたか?」
「はい、とても! でもキースさんって……」
「どうした?」
言葉の後にうろうろと瞳を彷徨わせる。
この言葉を言っていいのだろうか、と悩んでいるように見えたが、やがて言葉が続けられた。
「いや、その……なんだかお姉さんみたいだなって感じたのですが……」
「ああ、俺もそう思ったことがある」
そこまで言って急に顔色を変える。まるで哀しむような表情を見せて、「でも本当の性別は教えてくれない」とキトは呟くように言った。
雰囲気と言葉に、フェリアの首が傾げられる。
「どうして……ですか?」
「……『遠い昔に棄てた』……らしい」
小さく声を漏らすフェリアは、キトに続きを明かそうとはしてもらえなかった。むしろその先を知らないといった方が正しいだろうか。
この状況に困ったような雰囲気を出したフェリアに、それを感じ取ったキトは、ぱっと顔を明るくした。
「それにあのロゼリウスさんが側に置いても嫌がらないから、本当は男性なんじゃないかとも思う。謎だらけの人だよ」
「どうしてそうだと男性になるんですか?」
「それは──」
言葉の途中でキトは何かにぴくりと反応する。手は愛銃へ伸び、空間に緊張感が走った。
「キト?」
「退がれ!」
急に叫ぶキトに驚いたが、フェリアは言葉の通り体を後ろへ退げる。そして素早くキトが銃を出した時──
金属同士が激しくぶつかる鈍い音が響いた。
「っ……!」
銃を目の前で構えるキト。そんな彼の前には剣を掲げる癖がついた金の頭が見える。その色を持つ男の子がキトに襲いかかっていた。
キトは器用に剣を受け止めている腕をぐいっ、と引き、そのまま男の子の腕を掴んで腹に足を添え、ぐるんと体を自分の後ろへ投げる。
「っうわ!!」
男の子は情けない声を出して転がってしまった。しかしすぐに体勢を整えて立ちあがろうとしたが、キトの銃が頭に添えられて、それを許されなかった。
「まったく……またか。よく飽きないな。──レオン」
そこには顔を歪めているレオンと呼ばれた男の子が頭に手を添えて座り込んでいた。
彼の顔は今にも叫び出しそうに歪んでいて、その通りに口が大きく開かれる。
「オレは認めない! お前なんかぜったいに!!」
「またその話か……。何度も言うが、それを決定したのは俺じゃない。あの方だ」
「お前さえいなければオレだったんだ! お前は横からそれを奪った!!」
「……奪いたくて奪ったわけじゃない。それに譲れるのなら、レオンに譲っている」
「っ……! お前!!」
がつりとレオンはキトの胸ぐらを掴んでぎん、ときつく睨む。それにキトは静かな顔をしていたが、隣からフェリアが止めに入った。
「やめてください、そんなことをしても痛いだけです! ってあら」
「なんだお前──」
「貴方、怪我してる」
レオンの腕には先ほどのことで出来たのか、赤い線が引かれていた。傷を見たフェリアは顔を歪めたが、すぐに傷を癒そうと静かに歌い出す。
歌によってレオンの手にあった赤い線がすうっと消えていく。
この世界で傷や病などを治すことができる魔法——治癒に関する魔法はめずらしいもの。その珍しさから、生まれてから一度も見たことがないという者も珍しくない。
レオンも初めて目の当たりにしたのか、驚きで体が動かせずにいた。
「これでもう大丈夫ですよ」
そんな彼に歌い終わったフェリアはにこりと穏やかに柔らかく笑う。
しばらく静かな空気が漂っていたが、やがてレオンはぼぼぼっと顔を赤くした。
(……ふーん)
そんな彼になにかを思ったキトはじとりとした視線を送る。
「あ、あの……ごめんなさい。あなたに酷いことを言ってしまって……」
「私は大丈夫です。それよりもキトから手を離してあげてください」
言葉にすぐさま手を離す。それにキトはため息をひとつ漏らしながら、襟を直していた。
「キト、大丈夫ですか?」
「ああ、いつものことだから」
「いつも……」
レオンはそんなふたりの空気が気に入らないというかのように、顔を歪めて叫んだ。
「あのっ! あなたは……!」
「私、ですか? 私はフェリアといいます。つい最近、ここに来たばかりなので、失礼があったらすみません」
「い、いや……!そんなご丁寧に……。オレはレオンです」
「レオンさん……よろしくお願いしますね」
にこりと笑うフェリアに、どきりと心を揺らすレオン。彼独特の癖っ毛を揺らしながら顔が赤いまま俯いてしまった。
(これは完璧にあれだな)
そんなふたりをじとりとキトは見ていた。
「でも駄目ですよ。急に斬りかかるなんて……」
「それ、は……」
「斬ろうとした貴方も怪我をしてしまいます。そんなの、嫌ですから」
しゅんとするフェリアに慌てるレオンの首に誰かの腕が伸びる。
あまりの速さに避けることは叶わず、その手はレオンの首を掴み上げた。ぎりぎりと締め付けられ、レオンの口から呻き声がかすかに漏れる。
「すみません。こいつが迷惑をかけたようで」
いつの間にいたのだろうか。
にこりと笑う茶色の髪の女の子が後ろからレオンの首を締め付けていた。
「っだだだだだッッ!!」
苦しさにもがくレオンを、金の瞳が鋭く射抜く。たらりと汗が頬を伝った時、女の子の口が静かに動き出した。
「さて、キトさんに何か言うことが──ありますよね?」
にっこりと優しげに声をかけているが、やっていることは穏やかではない。それに女の子が片腕で掴み上げられるほど、レオンの体も細くはない。
このままではいけないと思ったフェリアが声を出そうとした時、レオンの手が女の子の腕に添えられた。
「そッッ……な、こと……ッッ!」
「迷惑をかけたらごめんなさいだろうが、この鳥頭!!」
言葉が想像する彼女の雰囲気とは違うものだった。
やはり、と止めに入ろうとするフェリアを制するキトの手。でも、と小さく不安そうに呟くフェリアに、キトは小さく「大丈夫だから」と呟いて自身の口に立てた自分の人差し指を添える。
見ているだけだったが、ますます勢いを増す折檻。
そんな状況に追いつけず、ぽかんとフェリアはふたりを見ていた。
「これもいつものことだから気にするな」
「これ、も……いつもの……こと……?」
ここって一体なんだろうか、とフェリアは宇宙の海にしばらく漂うことになった。
「すみません。こいつの根性は私が鍛え直しますから、代わりに私が謝ります」
「いや! ココノが悪いわけじゃないから」
「キトさんは優しいですね。でもだめです。こいつがやったことは千倍返しくらいにして、ぼろぼろのぎったぎたにしてやってください」
ぼき、ぼきりと鳴る細い指に、乾いた笑いが添えられた。そんな音を出したココノは、自身の瞳にフェリアを映して首を傾げた。
「あれ、あなたは……?」
「あ、私はフェリアです。貴女は一体……?」
「私はココノです。見て通り──ミオレティです」
言葉にばさりと目蓋を伏せたココノの白い羽が揺れる。
「ミオレティ……」
同じ羽を持つもの。しかし自分のものとは大きさや色が違うことが不思議なのか、フェリアはじっと白い翼を見ていた。
そんな彼女を瞳に映しながら、キトは言葉を続けた。
「白の羽を身に宿す鳥の通称だ。ちなみに黒の羽はアンディーニュというんだ」
「そうなんですね。知らなかったです」
申し訳なさそうに笑うフェリアにキトは何かを思う。自分を訝しむような瞳を感じたフェリアは、やや顔を歪めたまま首を微かに傾げる。
そんなふたりの雰囲気に、今度はココノが不思議に思いつつも言葉を発した。
「私はこいつ──レオンのパートナーをやっております。なのでこいつで困ったことがあれば、私に言ってください。なんとかしますから」
再びごきりごきりと女性の手からはならないような凄まじい音を立てて、ココノは笑う。
絶対にこの子は敵に回してはならない。そうキトとフェリアの意見が珍しく一致した場面でもあった。
うんうんと顔を合わせて頷くキトとフェリアに、ココノは申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。
「──と、すみません。どこかに用があったんですよね? お邪魔しました」
ココノはレオンの脚をがっちりと掴んでずるずると引き摺りながら消えていく。
その間もレオンの悲惨な悲鳴と納得がいかないというような声が響いていたが、やがて聞こえなくなった。
「すごい人……でしたね」
「あの二人はいつもあんな感じなんだ。まあ俺も初めて見た時は驚いたよ」
「レオンさん……キトに何かを『奪われた』って言ってましたが……」
ははは、と笑うキトに質問を投げたが、すぐに表情が暗くなる。言ってはいけないことだったと自分の口を塞ぐが遅かった。
「……奪うつもりはなかったんだ」
視線を下にして紡がれる言葉に、キトは悪くないと付け加えるが、空気は変わらなかった。
やがてぽつぽつとキトはゆっくり語り始めた。
「──俺はここの一番若い加入者なんだ。そしてなぜか俺は魔力を持っていて、その
「しちゅう……?」
馴染みのない言葉に首を傾げる。そんな彼女にキトは説明を続けた。
彼曰く「四柱」とはここ——アヴェリテルの権力者のこと。
もっとも強い権力を第一の柱——ミスティアが担っており、彼女が主人となっている。その後にロゼリウス、キースと続き、最後の柱、第四をキトが担っている。
そして権力が強いこの四人には、物事を決定する決定権もある。そんな四柱が決めたことは他の教団員は逆らうことができない。
キトが教団に入っていることにフェリアは驚いた。それにそれなりの権力ももっているだなんて、そんなことは思ってもみなかった。
そもそもここのシステムを知らない以前に、ここがどんなところかも知らない。
「ここ……は、いったい……」
「ここは『アヴェリテル』。アステルリィンを軸とする〝この世界、最後の希望〟」
「アヴェリテル……」
「アヴェリテルは主に魔物の討伐をしているが、鳥の保護も行なっている。……そう、ミオレティだけ、を」
俯くキトの言葉に感じる疑問。さっき聞いたことと違う言葉たち。
鳥はミオレティだけでないはずでは、という疑問の声に、ぎりりと拳が強く握られた。
「保護が追いつかないんだ。アンディーニュは希少個体。その珍しさからここが保護する前に誰かに捕まり、闇市で捌かれたりすることもある」
言葉にフェリアは顔を歪める。この話を聞くのは初めてだが、その捕えられた子たちのその後など、想像することは容易い。
とても穏やかに見えた下界だったが、ここにも闇は蔓延っていたのだった。
「アンディーニュも生きているんだ。俺たちとなにも変わらない。……なのに!!」
ぐっ、と拳を握って辛そうにキトは叫ぶ。叫んでいる間にも表情はどんどん酷いものへ歪んでいった。
どうして彼女たちだけがこんな気持ちを感じなければならない。闇の手に怯えながら暮らしているなど、間違ったことなのに。そう辛そうな表情が叫ぶ。
「そんな中で『助けて』という声すらも出ない子がいる! みんな等しく生きる権利はあるのに……ッッ!」
叫んだことと言葉に顔を歪めているフェリアに気がついたキトは、「すまない」と小さく謝り、瞳の光を強くする。
「だから俺はこの世界を変えたいんだ。誰もが平等に、何者にも脅かされない穏やかな生活が送れるようになれれば……いいと思うから」
そのためにまずは──と言葉を漏らした後に見えたものに、詰まる言葉。
見えたものは──涙だった。
静かに話を聞いていたフェリアは、いつの間にかぼろぼろと涙を流していた。
「ふぇ、フェリア? なにか俺、悪いことでも言ったか……?」
「ちが、ちがうんです……。ちがうの……」
ぐしぐしと涙を拭うが止まらない。止めようとしているのに、逆に先ほどよりもっと流れてくる。
ゆらゆらと揺れる視界の先にいるあの子。その子がキトと重なる。
むかし、とても前に言ってくれたこと。自分がしていることを「間違っている」と。そんなことを強要する〝世界〟を変えたいと確かに語ってくれたあの日。
その時も対象は違うが、みんなが穏やかに、泣く子がいないように、と願ったあの小さい体。
幼いあの子を頭に浮かべながら。そのことに泣きながらフェリアは笑った。
「キトならできます。きっとできるから。だから──」
信じて。
あの日、彼に言えなかったこの言葉。今度はちゃんと伝えられただろうか。
震えながら紡がれる言葉を聞いて、キトは困ったような、安心したような顔で笑った。
「君にそう言われると、本当になる気がする」
穏やかな声と共に差し出されたのは手だった。それを取ってもいいのか悩んでいれば、手がくいっと動く。
確認するように見た顔に、瞳を瞬いた。
「君に案内したい人がいるんだ。一緒に来てくれないか?」
それはあまりにも穏やかな
ここへ来て初めて見るとても優しい表情に、フェリアは言葉に応えるように。涙がいまだに伝う頬をもう一度拭い、小さく頷いた。
2025.05.31