第4話 「約束をしたひと」

——〝俺は、君をしらないんだ〟

 予想はしていた未来。しかし実際にそうだと、心に負うダメージは結構大きかった。

 左の瞳に涙を湛えながら、女の子は頭を微かに縦へ振るう。
 納得はできない。頭ではわかっている。だが心が理解をしてくれない。
 彼が少しでも自分のことを憶えていてくれるのではないだろうか——そう期待していたことが見事に外れてしまった。

(やっぱり、キト、は——)

 ここにはいない。そう思いつつも次の言葉をかけた時。
 地面がずしりと、地鳴りを伴って大きく揺れる。そしてその音が徐々にこちらへ近づいてきているようだ。

「何の音、ですか?」
「全く……、こんな時に」

 さも当たり前のような雰囲気の黒髪ふたり。キトはコルが怯えないように、と彼女の頭を撫でるが、すぐに愛銃を手に取る。

 そして女性ふたりの前へ、彼女たちを護るように出た。

「いいか、ふたりとも。絶対に俺の前に出ないでくれ」

 きっ、と細められる金の瞳は目の前の〝なにか〟を見つめたまま。そしてまたキトの唇が動いた時に現れるもの。

「敵だ」

 瞬間、醜い叫び声が辺りに響き渡る。思わず耳を塞ぎたくなるほどに汚く、とても大きいものを聴きながら、敵を認識したキトは戦闘体制へ入った。

 敵と言われたものは、緑の肌に角を生やしたゴブリンのようなものだった。しかし背には赤黒い翼があり、身長もかなり高いため違う種だということがわかる。

 自分よりも二倍以上身長差がある魔物を見据えて、キトは大きく息を吸う。

「コル、援護を頼む!」

 声にこくりと縦に振られる首。まずは、と言わんばかりに銀の色をした銃を構えると、キトはやや体を動かしてから魔物に向かって発砲する。
 しかし傷ひとつ付けられず、音と感触に魔物が驚くだけだった。
 これは効かないと判断したキトの側に控えていたコルの口が微かに動き出す。静かに紡がれたうた——彼女の得意なものである「子守り唄」が黒きモヤとなり魔物を襲う。
 これで駄目なら、と次の思考を巡らせていたが、どうやら効いたようで、大きい目蓋がとろんと降りてくる。

 うとりとしたのも束の間、魔物の大きな金の瞳が開かれ、その手が女の子へと向かった。

「あぶないッ!」

 かなり距離があったはずなのに、気がついた時には魔物と女の子の距離がかなり近かった。
 自分の側を離れないように、と言ったのに、発砲する際にキトの方が少し離れてしまったことによって起こった失態。しかし狙いはてっきり攻撃をしたこちらだと思っていたが、女の子の方だったようだ。
 慌ててキトは体を動かして女の子の前へ立ち塞がる。手がもう触れられる距離へ来てしまい、間に合わないと目蓋をきつく閉じた。

「大丈夫ですよ」

 痛みを覚悟した耳に届く、穏やかでとても優しい声。続けてうたのような言葉が聴こえて、すっとキトの体に腕が絡みついた。
 たんっ、という地面を蹴る音がしたかと思えば、次に感じたことは浮遊感だった。
 足が地についていない。そして地面を叩く魔物の頭上が見える。更には背に感じる、ふにんとした柔らかく温かいもの。
 ふい、と横を見てみればコルまで宙に浮いていた。

 背に感じる柔らかさと温かさ。そしてこの香りは——
 温度と香りに懐かしさを感じつつ、キトは女の子の腕をがつりと掴みながら叫んだ。

「きっ、君は……! () () () () ()?!」
「はい、飛べますが……?」

 キトを腕の中に抱いたまま、あたかも当然のように返ってくる返事。
 この世界で空を飛べる『鳥』は存在しない。皆、空を忘れてしまった鳥だからだ。

 空を飛べる、ということにキトはまた声をあげるが、女の子はそれどころではない、と声を遮った。

「ゆっくりとお話をしている時間はくれないようです」

 細められた紫水晶は魔物を見据える。こちらが空を飛べば次はどうするかを見ていれば、大きい手がまた伸ばされた。

 ああ、そのまま捕まえてはたき落とすのだろうと思って、女の子の顔がにっ、と笑いに歪んだ。

「貴方たちはここに」

 自分のするべきことがわかった女の子は空を移動して、魔物からやや離れた場所へ来る。
 そしてコルとキトはするりと地面へ降ろされ、ようやく浮遊感が消える。自分も加勢する、とキトは大きい声を出すが、女の子はふわりと笑いながら人差し指を立てて、自分の口へ寄せた。

「大丈夫ですよ」

 もう一度、同じ言葉を。穏やかに優しく包み込むように紡いで、女の子はまた空を飛ぶ。
 追おうと視線で追いかけるが、眩しい空がそれを許さなかった。一瞬だけ姿が消えた彼女を魔物も追っていたが、見失ってしまったようだ。
 ぎょろりと金がうろうろと彷徨っていれば、大きい肩を小さく細い手が叩いて告げること。

「貴方の狙いは、私でしょう?……お相手しますよ」

 いつの間にか魔物の背に移動していたのか。どうやら縦に高く飛ぶだけでなく、横に移動できる様子の彼女。

 つまり、空を制覇した鳥のように空を飛べるのだ。

 慌てて魔物が彼女を大きい手で払う。しかしそれは虚しく宙を掻くだけだった。

「私を狙うなんて、いけない子ですね」

 見たこともないような酷く冷たい瞳を魔物に向けながら、紡がれたうた。音を聴いたキトの体がぴくんと反応すると同時に、ぞっと背中に這うものを感じた。

 このうたは確か、上司である人物から教えてもらったもの。実際に聴いたことはない。
 なぜなら、失われてしまった種族——天使のしかも最上位である姫だけがうたえるものなのだから。

(これは……〝治癒の歌〟……!)

 どうして彼女がこのうたを知っているのだろうか。そもそも知っているだけでは、うたは発動しない。
 しかし周りの空気が女の子に同調するように、ふるりと震える。彼女の手に光が集まり、ぽう、と光れば、歌いながら口がまた開かれた。

「そんな子は、お眠りなさい」

 瞬間、魔物の足元が光が始める。逃げようと大きい体が動くが、その巨体を眩い光が包み込む方が早かった。
 光に包まれた魔物はまた、醜い叫び声をあげる。耳を閉じたくなるほど大きい音を聴きながら、紫水晶の瞳が微かに細められた。

 しばらく叫び声が辺りに響いていたが、魔物の体がさらりと砂へ変わっていく。
 形を作った砂が元の形へと変わるように。魔物の姿はざあっと消えていった。

 何かを思いながらそっと細められた紫を見ながら、キトは驚きで体が動かせずにいた。

 ここまで天使と酷似した特徴を持つ彼女。ありえないと感じながらも、まさか本当に彼女は天使なのだろうかという思考にたどり着いた時、真っ白な足はとん、と小さい声を出しながら地面へ着地する。

 こつ、こつりと歩く音が、静かに響いた。

「あの魔物、咄嗟に倒してしまったけど……。それでよかったんですよね?」

 にこりと笑いながら告げられる言葉。魔物も危険だったが、正体がわからないうえに、失われたうたを使う彼女の方がもっと危険。
 判断にキトの愛銃が構えられるが、こんなにも強力なうたを持つ彼女と戦っても、こちらが勝つことはきっと難しい。なら構えても無駄だとすぐに下げられた。

 そして訝しむ金水晶がじとりと女の子を見つめた。

「君はいったい……〝何〟だ?」

 答えを間違えればどうするかわからない。そんな瞳を向けながら、ずいぶんと立派な羽をもっているようだが、正体はどうなんだと問う、彼と同じ金の瞳。

 その瞳に女の子は。やっぱりキトは……自分の知る彼はここにいないと、そう思いながら謝罪を紡いだ。

「ごめんなさい、挨拶が遅れました。私はフェリアといいます」

 自身の胸に手を添えて、ご丁寧に自己紹介をもらう。しかし次の言葉で、キトはまた顔を強張らせた。

「私はただの〝鳥〟です」

 声と共にばさりと羽が瞬く。ここまで立派な羽を持つ彼女。本当に鳥なのだろうかという疑問が消えない。
 正体はわからない。だが、キトたちに対する敵意も感じない。
 なら今は少しだけ警戒して接するのがいいだろう。万が一があればどうしようもないが。

「あの……?」

 思考を巡らせていたキトを天空色の羽を持つ女の子——フェリアは不安そうに見つめる。ゆらりと揺れる紫を見て、キトは意識を引っ張られた。

「あ、ああ。すまない。俺はキト。こっちの子はコルだ」

 そっとコルの頭に手を添えてこちらも紹介を送る。そんなキトの脚に手を添えたコルを見て、こちらも警戒をしているな、と考えつつ言葉を続けた。

「君を森でみつけて、ここに運んだんだ」
「まあ、それはすみません。ありがとうございます」
「いや、こちらこそ。……これからよろしく」

 よろしく、とは言ったが、違う意味も含まれている。そんなことを気にしないように、フェリアはふわりと笑って言葉を返した。

「ところで……。どうして君は空から堕ちてきんだ?」

 これが彼女に一番訊きたいことだった。
 空から堕ちてきたこと。これを否定しないのならば。彼女は間違いなく天使だと認めざるを得なくなってしまう。

 これらが本当なら大変貴重な存在であるため、それこそこんな場所へ置いてなどおけなくなってしまう。

 できることなら否定してほしい。そうすれば〝保護〟だけで済むのだから。

 思いとは裏腹に、フェリアはふと柔らかく笑った。

 どうしてという言葉に、フェリアの中ですぐ見つかる理由。そのためだけにここまで来て、再び出逢ったふたり。

 フェリアの紫水晶が穏やかに見えなくなった時、さわりと風が吹く。暖かく優しい風がふたりの間を通り、キトをゆらりと揺らしながら過ぎていった。

「さがしものを、見つけにきました」

 目蓋の裏に見えるのは、頬を仄かに赤く染めて穏やかに甘く笑う〝あの子〟。白い花と一緒に、大切なものをくれたひと。
 綺麗な白い短髪を揺らしながら、琥珀(アンバー)色の大きい瞳をとろりと細めている少年が浮かぶ。その子はフェリアにとって太陽のように眩しく、かけがえのない存在だ。
 そして彼女だけが憶えている遠い昔の彼。

 あの子は() () ()の——

「わたしの大切な約束をしたひと(たからもの)を」


2025.02.27


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