第1話 「黒を持つもの」

 ばたばたと激しく走る音が暗闇に響く。
 それを出している黒髪の少女は、後ろから迫ってくる人物から逃げ惑っていた。

 逃げても逃げても暗闇が広がるだけ。瞳を細めて息を切らすほど走っていたが、やがて足が止まる。
 壁に手をついて顔を上げた時、自分を追いかけている人物の声が後ろから響く。

 震えながら振り返れば、少女を青い瞳に映した人物——金髪の男性は自身の顎に手を添えて、その瞳を細めながら微かに笑った。

「その羽——〝アンディーニュ〟だな!」

 言葉の通り、少女の背に生えている黒い羽がふるりと震える。

 言葉に鋭さを強める幼い顔。赤い瞳を細め、きつい視線を向ければ、そんなことを気にしない男性の顔が微かに喜びで歪む。
 自分に会えて嬉しい、というような言葉を放つ男性は徐々に距離を詰めてくる。
 ぎり、と顔を歪めた少女は逃げるように後退るが、背には暗闇が広がるだけ。

 このまま逃げてもいつかは捕まるだろう。そうしたらどうされるのか、幼い彼女でも簡単に想像がつく。

「さあこちらに……!」

 静かに伸ばされる手を避けられず、最後の抵抗として目蓋をきつく閉じた時。

「──ここにいたのか」

 少女の耳に届く、少しの幼さを残す男性の声。それは彼女にとって、とても聞き慣れた音だった。

 僅かに警戒を引っ込めつつ顔を上げれば、徐々に姿が暗闇の中から見えてくる。

「だっ、誰だ?!」
「それは、こちらの台詞だな」

 こつりと靴を鳴らしながら姿を現した彼は、青みがかった黒髪に、琥珀色の大きな瞳。そして姿は少年と青年の中間くらいだが、線がとても細い。
 そんな彼を見た少女から安堵の息がひとつ、静かに吐かれた。

「キト!」

 少女が暗闇から現れた彼——キトの名前を呼ぶと、その名を聞いた金髪の男性の顔色が変わっていく。

 男性の反応は、初めて聞く名前に対するものではない。まるでキトのことを知っている、と表しているもの。
 なら話は早いとキトは瞳を強くしたまま、男性に話しかけた。

「その子を返してもらおうか」

 表情は男性を怪しんでいる。このまま少女を連れて行かせるものか、とも叫んでいるような鋭い表情。
 男性の震える唇から言葉がぽつりと出てきた。

「キミが……、この子の〝ご主人様〟かい?」

 琥珀の瞳に鋭く射抜かれている男性は、続けてキトに言ってはいけないことを言ってしまう。

 この子——黒い羽を背に生やす「アンディーニュ」の少女が、自分のものであるという証拠はあるのか、と。

 またこの扱いか、この言葉を聞くのは何度目か、という気持ちを表すように吐かれるため息。いい加減にしろとでも言いたそうな表情のまま、キトの声色が若干尖る。

「なにが目的だ。金か、それとも名誉か?」
「私はただこの子が……」

 話が全く先に進まない。これ以上話をしていても無駄。ならこれしかないと、静かにあるものが出される。

「それなら、力尽くで連れていくか?」

 ちゃき、と鳴る鈍い銀色を放つもの——それは銀色と黒色をした銃。
 男性がそれを見て驚いたことは、拳銃が出されたことではなく、銃に刻まれている仄かに蒼く光る紋章だった。

(あの紋章は確か——!)

 男性の記憶違いでなければ、ある教団に所属している者が持つ武器に刻まれているもの。そしてそれらの武器は、ただの武器ではない。
 それらのことから導き出された答えは、これではこちらの分が悪いということだった。

「わかった、手を引こう」

 ぐっと力を入れた後、額から雫がひとつ零れて紡がれる、微かに震えた声がそれを物語っていた。

 言葉の後にすぐさま身を翻して、男性は暗闇へ消える。
 やれやれと言いたそうに目蓋を閉じながらキトは音を聞き終えた後、金水晶に少女を映した。

「コル」

 静かに呼ばれた少女の名前はどこか冷たさを纏っている。呼ばれたコルはキトが怒っているのではないかと思い、身体をびくりと震わせた。

 続けてそんな彼女の頭上にキトの手が作る影がかかる。
 彼の性格上そんなことをするはずないが、コルの頭の中には過去の出来事から、「殴られる」ということが浮かぶ。小さい身体はそれに素早く反応を示し、震えながら目蓋をきつく閉じた。

 しかし次に感じたことは殴られた〝痛み〟ではなく、右手首が冷たさを纏う。
 感触にびっくりしたコルがその場所に視線を移せば、きらりと光る青の腕輪。

 これはいつも付けるように言われていたのに、()()に夢中で自分の部屋に置いてきてしまったものだった。

「だめじゃないか。腕輪(それ)、部屋に忘れていたぞ」

 勢いよく上を向けば見える、眩しさを感じるほどに優しく穏やかな表情。ああ、キトは怒っていたわけではないのだと思った時、彼女の背に生えている黒い羽に変化が訪れる。

「それがないと、羽が隠せないんだから」

 言葉の通り羽が静かに姿を消す。
 そのことを確認したキトは、今度はコルが怯えないように体をやや折り曲げて手を差し出し、「さあ帰ろう」と微笑んだ。


2024.12.31


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