第10話 「髪に飾る気持ち(こころ)

 街へ行けば、目に入るたくさんのひと。それぞれが話をしながら歩いているが、あまりの多さに流されてしまいそうだ。
 ちらりと前を歩くキトを見れば、ぴょこぴょこと動く彼の毛——いわゆるアホ毛だ——が目に入る。動きが可愛いなあなどと思っていれば、急にくるりとこちらを向く。
 驚いて足を止めれば、キトはフェリアの隣へ移動した。

「人が多いけど大丈夫か?」

 きっと自分を心配してくれているのだろう。
 先ほどのコルへの対応を見た時も思ったが、彼はとても気が利く。それは優しさでもあるのだろうと、フェリアは瞳をとろりと細めた。

「はい、ありがとうございます」

 言葉に安心した声が返ってくる。なるべく離れないようにと思いつつも。
 男性ふたり組が前からやってくる。避けようとキトから少し離れて歩けば、目の前からまた人がやってきてぶつかりそうになってしまう。

 慌てて避けてほっとしたのも束の間。
 今度はキトを見失ってしまった。
 きょろりと周りを見るが、あのぴょこっとした髪の毛は見つからない。

 はぐれないようにしようと思ったばかりなのに。
 どうしようという焦りが出たとき。
 背中にとんとんと小さく叩く感触が伝わる。ばっと振り返れば、そこには息を荒くしたキトがいた。

「よかった、見失わずにすんだ」

 はーと吐きながら顎に伝う汗を拭う。

 姿から慌ててたのだろうということが見受けられる。こんな時に不謹慎だが、どうしてか嬉しさでいっぱいになってしまう。
 心を表すように。感謝と謝罪を伝えれば、また並ぶ形で歩き出す。

 今度こそは絶対に離れないぞと心に決めて。しかし前はしっかりと見て、人とぶつからないように注意を忘れずに。
 ちらりと横を見てみれば、キトもフェリアを見ていたようで、ばちりと視線が絡む。急なことで慌てたのと、まさか見られたなんてという恥ずかしさから、互いに視線を逸らして前を向く。
 こんなことをして、相手は傷ついてしまうだろうかという反省が遅れて出てくる。また遠慮気味にちらりと見てみれば、再び視線が合う。
 また驚いたが今度はさっきとは違う行動に出よう。そう思ったフェリアが先にふんわりと柔らかく笑えば、キトはどきりと瞳を開く。
 フェリアは嫌な気持ちは持っていないのだろうという考えに至ったキトも柔らかく笑い、穏やかな空気に包まれた。

 結構歩いたから疲れてはいないだろうか。キトがそう訊こうとした時に、フェリアの目に入るひとつの店。
 見た感じ、露店のようだ。遠くからでもさまざまな品物が置かれていることがわかり、フェリアはどんなものがあるのだろうと興味を引かれる。

 しかし今は目的がある。そのためにここへきたのだから、まずはその目的を達成することが先だろう。
 帰りに寄ってもいいか訊こうと迷っていれば、キトがフェリアの視線の先に気がつく。ああ、なるほどと思いつつ視線をフェリアへ戻せば、何か言いたそうにしている彼女がどうしようか困っているようだった。

「あの店が気になる?」
「はい、ちょっと見てみたいなぁと思って」

 でも目的の場所へ行った後、余裕があればでいいと付け加えて話すフェリア。そう言ってもらえるのはありがたいと思いつつも。
 街の中心にある時計台を見てみれば、時間はまだ余裕である。

「いいよ。先に寄ろうか」
「えっ、そんな、でも……」
「大丈夫だから、ほら」

 にこりと笑ってからキトは先を歩く。申し訳なさがあったが、また彼を見失うわけにはいかない。慌てて後に続くが、キトは黙ったまま先に行く。
 もしかして怒ってしまったのではと不安が過ぎるが、考えているうちに露店の前へ着いてしまった。
 せっかくだし、と白い布がかかったテーブルの上を見てみれば、目の前に広がるのはさまざまな雑貨。装飾のされた綺麗なランプや大ぶりから小ぶりのアクセサリーなどが並ぶ。見ているだけで目を楽しませてくれるそれらに、フェリアは瞳を輝かせながら夢中になっていた。
 やっぱり女の子はこういうものが好きなんだろうか、と考えつつも顔を綻ばせているキト。
 教団の中を案内している時もキースからケーキをもらい、美味しそうに嬉しそうに食べるフェリアを見た時にも思ったが、彼女のこういう姿は見ていて飽きない。なによりとても可愛く瞳に映る。
 今回もそんなことを頭に浮かべていれば、店主がここでやっとキトに気がついた。

「あれ、誰かと思えばキトじゃねえか」
「ああ、キジさん。こんなお店もやっているんですね」

 穏やかに話す互いは顔見知りのようだ。

 店主のキジは隣にいるフェリアを視線に映した途端、くぅっといった声をあげて空を仰ぐ。その目には微かに涙があり、キトは首を傾げる。

「ついに春がやってきたのか……」
「春はもうとっくに過ぎまし、」
「ああ、よかったなあ!」

 言葉が噛み合わない。必死に理解しようとするが、混乱するキトの肩をキジはバシバシと叩き、お茶を濁す。
 納得がいかなかったが、フェリアに簡潔に彼のことを説明し始めた。

「この人はアヴェリテルの備品や食料などを調達する時にお世話になってるキジさん。この前の食料、とても新鮮だとキースさんが喜んでました」
「そりゃよかった! 今日もなんか持ってくかい?」
「お気持ちはありがたいですが、違う用でここへ来たので」

 そりゃ荷物になるかあ、とキジは豪快に笑う。
 雰囲気から気さくに話せる人なんだということがわかり、フェリアの顔から緊張が消えた。

「えと、全部とても素敵ですが、それぞれ特徴というか趣向が違うんですね」
「おっ、わかるかい? オレはいろいろな国に行くことが好きでね。寄ったとこで気に入ったものを買い付けるのさ」

 心に響くものが多すぎて量が増えることが悩みだという。言葉通り、さまざまな人の好みに対応できるような量の品物が並べられている。
 中にはキトも初めて目にするものも多く、こんなものもあるのかと感心するほど。

 他国にも機会があれば行ってみたいなということを浮かべて、ちらりとフェリアを見てみれば、ある一点に釘付けになっている。同じく目線を動かせば、そこには対を成すリボンが置かれていた。
 片方は青地に縁は金で唐草のように装飾されている。もう片方は同じ地と装飾で違うのは縁が銀色をしているというところ。
 どこか高級感も漂う品に、キトも目を奪われた。

 これと似たようなものをどこかで見たことがあるような気がするが思い出せない。確か間近にいる人物が付けていたような——

「……、コルの腕輪と同じだ」

 同じ青色のベースと、内側にある宝石の縁取りと同じ金の縁。彼女の腕輪はジーニアスが持っていたものだが、なにか関係があるのだろうか。

 リボンをじっと見つめるふたりに、キジが喜びの声をあげた。

「へえ、それが気になるかい。これはとある国独特のデザインなんだ」
「とある国?」
「確か……、えーっと、『セイヴァルド』だったかなあ」

 彼が出した国の名前はここからずいぶんと離れたところだった。そんな場所まで足を運ぶことに対する関心と、徐々に曇っていくキジの顔色に首を傾げた。

「ただな、そこは王様が息子に変わってから、なあんか……きな臭くなったんだよなあ」

 前国王は民を深く思い、治安もそこまで悪くなかったのだという。
 今では以前と正反対な国だと、キジは苦い顔で話した。

「っと悪い悪い。こんな話を聞いた後じゃ欲しくなくなるよな」

 静かにリボンを仕舞おうとする大きい手にフェリアの手が触れる。小さい声と共に疑問そうな表情を彼女に向ければ、首が横へ振られた。

「いいえ、つくったひとはそうではないかもしれません」

 だから大丈夫だと柔らかく笑うフェリアに、キジも安心した表情を向け、ぜひ手に取ってやってくれと嬉しそうな声をかけた。
 こくんと頷いてから手に取れば、生地の細かさと艶、そして縁部分の細かい細工に思わずため息が漏れる。
 質も最高級品。ここまで繊細かつ上品な姿を創り上げるひとはきっと、そんなことはしないだろう。

 このリボンがとても気に入った。これをいただきたいとすぐにでも言いたい。
 しかしふたつは自分にはもったいないし、なによりこの世界のお金を持っていない。
 これも縁だ。自分のところへ来るものではなかったのだと考えれば納得もいく。

 すみませんが、とフェリアが口を開こうとした時、キトがポケットからなにかを出す。白くきらりと光るそれは、金属でできたカードのようだった。

「キジさん。ここはこれに対応してる?」
「勿論だとも!」

 すっとキジが左腕を出す。よく見てみればキジは左手首に同じような金属が中心に付いた腕輪をしていた。
 金属同士が重なれば、小さい音が鳴り、続けて「まいど!」という声がキジからあがる。

 リボンを手にしたまま、わけがわからないフェリアにキトが柔らかく笑う。

「このリボンでよかったかな」
「あの、でも、お代が……」
「もう払ったから気にしなくていい」

 きょろ、とキジへ困ったように顔を向ければ、腕輪を指してにかっと笑い顔が返ってくる。
 つまり、先ほど彼らがしたことは代金の受け渡しだったようだ。初めて見る決済方法に驚いたが、同時に申し訳なさが込み上げる。

 だって自分は。
 こんなにも素敵な品をもらうのに値しないのだから。

「だめです、だってこれは」
「だめじゃない」

 ふるふると首を横へ振るフェリアから金の縁の方を優しく取り、そのまま彼女の髪へと近づけて瞳を細めて笑う。

「俺はこのリボンを付けた君の姿を見たいと思うから」

 ああ、なんてことを。
 プレゼントをもらうことだけでも嬉しいのに、優しい笑顔でこんなことを面と向かって言われたら落ちるしかない。

 髪を撫でるリボンを震える手で触り、本当かと訊けば、縦に振られる首を徐々に滲んでいく瞳で確かに見つめながら。

 きっと、ずっと。
 このリボンも一緒にいつまでも大切にしようと心に決めつつ受け取った。


2025.09.23


 
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