第1幕 第07曲 「黒きものと白きもの」
暗い静かな館の中で、ゼスの靴が奏でる足音だけが辺りに響く。途中に明かりがついた部屋もあったが、そこには依頼人の夫はいなかった。
確認する部屋もこれで最後。そこは夫婦の寝室だった。
こつ、と足音を立てながら部屋に入れば、部屋の隅にいた黒いものがぴくりと動く。
「ここにいたのか」
ゼスの声に反応し、振り返る魔物。醜い姿をしていたが、雰囲気は穏やかなものだった。
ゼスを見て魔物は安堵の表情を見せる。
「ア、アア……、貴方ガ我ラノ王……。ヤット来テクダサッタ」
「そんなことを聞きに来たのではない」
言葉にどうしてとでもいいたそうな表情を見せる、男性だったもの。
とても人間とは思えない、醜い姿。それはかつて、ゼスが従えていた魔物そのもの。
しかし人間の心までは失ってはいなかった。
(その方が辛いだろうに)
心まで魔物に成り果てていたのなら。迷うことなくゼスは彼を消していただろう。
しかしそうではなかったため、ひとつ目の選択肢が消える。
そして——
(ここまで〝魔のもの〟と同化していると、切り離すことは難しい、か)
短剣に手を寄せたが、ふたつ目の選択肢も消えかけている。
自分が想像していたものとは違い、彼をどう救えばいいのかをゼスは悩んでいた。
そんな彼に依頼人の夫はふと笑うと、衝撃の言葉を告げる。
「僕ヲ……消シテクダサイ」
「なに?」
言葉に耳を疑う。顔を歪めて冷たい雰囲気をゼスは出すが、依頼人の夫は変わらなかった。
すべてを諦めたような表情で言葉を続ける。
「コンナ姿デハ、モウ……彼女タチニ触レラレナイデスカラ」
それに、と涙を流しながら辛そうに言葉を紡ぐ。
「アノ子タチヲ……傷ツケタクナイン、デス」
きっと彼はふたつの意味で言っているのだろう。自分の家族を深く想い、愛しているからこそ。害となる自分は消えた方がいいと呟く。
これもひとつの愛の形。すきな人のために消えることも、間違いではないのだろう。
しかしそれではこの男性を救えない。依頼を完遂することにはならない。
冷たい表情のまま、ゼスは男性に再び問う。
「それがお前の望みか?」
これが最後の問いかけ。この問いの返事にゼスは従うつもりだ。
にこり、と男性が穏やかにわらった気がした。
「オ願ガイ……シマス」
自身を差し出すように、男性は身を現す。ゆっくりとゼスに近付き、彼の前で跪いた。
「——……」
男性に手を翳したゼスの口が微かに動く。しばらく彼らは話を続け、やがてゼスの手が赤く光り始めた。
「お前の望み、確かに聞き届けた」
ゼスの言葉に男性は感謝の言葉を告げる。
赤い光が眩しく輝いた後、部屋が男性で真っ赤に染まった。
-*-*-*-
笑顔で送り出したが不安を抑えきれず、そわそわしながらルティナはゼスの帰りを待っていた。表情は暗く、それが彼女の心配を物語っている。
ゼスの部屋のベッドに腰掛けていたが、そわそわが落ち着かない。何か別のことをして気を紛らわそうと、彼の部屋の本棚に手を伸ばした時。
キイイ、とルティナの左胸が光り始める。
「っ……、あっ……!」
左胸がひどく痛む。きつくそこの布を握り、痛みに喘ぎながら耐える彼女の額には、雫が浮かんでいた。
「っ、あ……、るい、す……っ!」
ここにはいない彼の名を呼びながら手を伸ばすが、その手を取られることはない。ぎしりと体を軋ませて痛みに耐えていれば、光と共に痛みが薄れていく。
はっ、と荒く息を吐いた時、それがなくなった。
(胸の痛みが、治った……?)
ぎゅううと握っていた場所が痛んでいたが嘘のように消えた。
ゆっくりと体を起き上がらせて、首のリボンを解き、痛んだ場所を見るが、なにもない。
(ルイスが魔力を使うこと……珍しいのに)
左胸の下にあるものが光り、その場所が痛んだこと——それはゼスが魔力を使ったということ。
魔力を使うことにも〝代償〟が伴う。その代償が大きすぎるあまり、ゼスは自身の魔力を使うことは滅多にない。
どうしてだろうと首を傾げた時、部屋の扉がかたんと鳴った。
「ルイス……?」
音に振り返れば、そこにはゼスが静かに立っていた。待ち望んでいた彼を見たルティナは表情を明るくしたが、彼の頬についているものを見て、表情を変える。
ゼスの左頬は、なにかの赤で黒々と染まっていた。
「怪我を、したの……?」
静かに近付き、彼の左頬に手を伸ばす。
ぬるりと白い手を汚した赤は、彼のものではなかった。なら、これは誰のものだと思った時、ゼスの口が静かに動き出す。
「……ルティが望んだ結末にする事が、出来なかった」
言葉ですべてを悟り、ゼスの言葉が何度もルティナの中で反響していく。
静かに謝罪の言葉を述べるゼスの体に、ルティナは縋りついた。
「この結末が、依頼人の夫の望みだった」
「そう……なの、ね」
本人が望んだこと。それをゼスは叶えただけ。
なのにこんなにも胸が苦しいのは何故だろう。
「泣くな」
身体を震わせて泣くルティナに、ゼスは声をかける。震える肩に触れようと手を伸ばすが、触れずに手を下ろした。
部屋にはしばらくの間、ルティナの泣く声が響いていたが、やがて聞こえなくなる。
ゆっくりと見えた顔は、互いにとても歪んでいたが、先にルティナが微笑んだ。
「おかえりなさい。そしてお疲れ様」
目元を腫らしたまま微笑む彼女に、ゼスは更に顔を歪めると、指を腫れたところに這わせた。ゆっくりとなぞりながら、謝罪の言葉をまたひとつ、ぽつり零す。
「魔力を……使ったのね」
自分の目元をなぞる手に自身の手を添えて、ルティナはゼスに問う。その言葉にゼスの顔は曇った。
「ルティに相談もしないで、すまなかった」
「いいの、大丈夫。ルイスが必要だと思ったのなら」
しかし、と続けるゼスに、ルティナは遮るように言葉を紡いだ。
「ここが、痛んだだけだから」
そっと手を寄せた先。ゼスが視線をそこに移せば、彼女の細い肩が目に入る。
そこの関節はまるで人形のような球体関節。そして彼女の指の下にあるものは——
〝魔王の遺産〟を示す黒い刻印と、それに寄り添うように描かれている白き蝶。
「すまない」
再び謝りながらゼスは彼女の肩に顔を寄せて、腕の中に抱く。抱きしめた体はとても冷たく、人間のものではない。
ゼスが「なんでも屋」を営んでいる
ただ彼女のために——
そのことにルティナは顔を歪めながら、今度は音を立てずに涙を流した。
「何処か壊れていないか……確認を、させてくれ」
やっとの思いで絞り出したような、小さく掠れた声。痛いほどに自分を抱き締める震え続ける広いの背中に手を回して、ルティナは静かに頷いた。
2025.03.08