第1幕 第06曲 「蒼の加護」

 寝静まる夜。黒い服を風に揺らしながら、ゼスはある館の屋根の上にいた。

(依頼人の元の家は此処、か)

 人が住んでいるとは到底思えない、魔物が棲んでいそうな雰囲気の館。窓は割れ、電気は付いておらず、〝いかにも〟というものだった。

 ゼスは立っていた場所から、一番近くにある窓へ移動する。窓硝子が大きく割れていたため、大柄なゼスでも難なく中へ侵入することが出来た。
 無言のまま足を進めていけば、何かがぱきりと鳴る。
飛び散った窓硝子を踏んでしまったのだと気がついた時、黒いものが彼を襲った。

「……死霊の類いか」

 夜目がきく彼はその正体を捉える。黒いもの——死霊たちは何かを言いながらゼスに近付き、彼の体に触れようと腕を伸ばす。

(此奴らに()れられたら、体を乗っ取られる——か)

 伸ばされた腕をひょいっと躱し、体勢を低くする。そのまま床を力強く蹴り、宙を舞えば天井に吊るされているシャンデリアを掴み、ぶらりと垂れ下がった。

「全部で三体、か」

 上から様子を見ていたゼスに再び黒い手が伸びる。

(何処かに此奴らを操っている奴がいるな)

 自分の意思で動いているようには見えず、まるで誰かに操られているように見える姿。それは助けを求めているようにも見える。
 黒い手をぎりぎりのところで避けて、ゼスはまた宙を舞う。そのままひらりと床に着地すれば、腕を捲った。

「哀れな者共よ、地に縋れ」

 小さく呟き、短剣を手にする。暗闇の中で鈍く銀を放つもの——【蒼い涙の姫君(ラズリティーラ)】を持ったまま、薄い唇が微かに動き紡がれる言の葉(呪文)
 声に反応した剣の中心にある蒼い液体がこぽりと鳴り、剣身を伝う。液体はゆらりと揺れて、数粒がゼスの周りを漂った。
 その液体に反応した死霊たちが、僅かに距離を取る。驚いているようにも見えたが、ゼスはそのまま死霊たちに向かって走り始めた。

 死霊たちも何かをされると悟ったのか、慌てている様子のまま、ゼスの体に触れようと手を伸ばす。
 ——が、それは誤った判断。ゼスは伸ばされた手を避けると、手にしている短剣で死霊の手を床に縫い付ける。痛みに喘ぎ身を捩る隙も与えず、蒼い液体が死霊の手に触れた瞬間。

 ぱきりと小さい音を立てて、死霊はざあっと消えてしまった。

「一体目」

 ぽつりと呟くゼスに、他の死霊の手が伸びる。紅い瞳を光らせ、自分の側を漂う液体を指で弾けば、まるで弾丸のように一体の死霊の額を貫いた。

「二体目」

 残りの一体が明らかにゼスへ畏れを抱いている。じりと後ろに退がるが、自分の首に冷たいものが添えられていることに気がつく。
 死霊がそれの正体を知る時には、体が形を成してはいなかった。

「三体目」

 冷たく呟きながら、ゼスは折り曲げた体を伸ばす。
 立ち上がり、短剣をくるりと回した先。

「お前が此奴らを操っていたのか」

 暗闇に溶け込むもの。雰囲気だけで人間ではないことがわかる。

 ゼスの言葉にこつりと鳴る足音。

「いやはや……私の可愛い死霊たちが、あっという間に浄化されてしまった」

 素晴らしいですよ、と手を叩きながら、姿を現す男性。彼はゼスと同じく真っ黒な服装を身に纏い、先端に黒い宝石が付いているステッキを持っていた。

 響く音にゼスは顔を歪めると、瞳を細くする。

「貴様に褒められても嬉しくない」

 ちゃき、と短剣を暗闇から現れた人物に向ける。見えた表情は酷く楽しそうなものだった。

「偶然……ですね、この館の主が、とても良いものをお持ちだったんですよ」

 酷く嫌な笑い顔。人を見下し、人を嘲笑い、自分の駒としか思っていないもの。
 しかし彼の言葉でゼスは悟る。

「お前は館の主に引き寄せられたのか」

 きっと館の主——依頼人の夫が撒き散らしているであろう〝魔のもの〟にこの男性は引き寄せられ、居心地がいいからとここに留まっているのだろう。

(先へ進むには此奴を倒さないといけないか)

 考え事をしているゼスの思っている内容が、彼の表情から読み取れたのか、男性はくすりと嗤った。

「ああ、駄目ですよ。あの人を消されると、私が困るんです」

 なぜなら彼の負の感情は私の食事になりますから、と続けられる言葉。

 負の感情を喰べ、それで死霊を呼び、これを延々と繰り返す。

「良く出来たものだな」

そのせいでこの館はこんなにも暗いものに成り果ててしまった。

「ああ、貴方も……彼に近いものをお持ちで、」
「五月蠅い」

 言葉の途中でゼスは短剣を構えたまま、男性に向かって走り出す。
 男性がにやりと笑い口を動かせば、彼が持つステッキの先にある宝石が光る。それに喚ばれた死霊たちが姿を現し、ゼスに襲いかかった。

(全部でまた三体か)

 ゼスは自分の体を得ようと伸ばされた手を躱し、少し後ろに退がる。

 死霊自体は厄介ではないのだが、やはり元である男性を叩かなければ、死霊の数は更に増えていく。
 こちらはひとり。それに対してたくさんの数で襲われてしまえば、やはり厄介な展開になってしまう。

 狙いを死霊たちの主である男性に絞り、ゼスはまた体を動かした。

「無駄です」

 男性の言葉に死霊たちが一斉にゼスへ飛びかかる。逃れようと体を動かしたゼスの腕に、微かに黒い光を放つ紐のようなものが巻き付く。
 視線を紐の元に移せば、男性が持っているステッキの先から伸びていた。

「逃しませんよ?」

 紐のせいでその場から動けないゼスを潰そうと、死霊たちが覆い被さる。
 逃げられず巻き込まれたゼスのいた周りが砂埃に包まれ、彼のことを仕留めたと思った男性の顔がうとりと歪む。

「ああ……、とても素晴らしい部下が出来ました。貴方もずっと私が使って差し上げますね」

 自身の手を自分の頬に当てて男性は嬉しそうに笑う。男性の高らかな笑い声が館に響いたが、やがて違和感を覚えてぴたりと止む音。

「——よく喋る口だ」

 死霊たちがゼス目掛けて襲いかかった時にできた砂埃が晴れ、見えた光景に男性が酷く驚いた。
 なぜなら死霊たちがゼスの体を得ているどころか、彼の体に触れた三体すべてが床に体を臥せて、もがき苦しんでいる。

 そんな中でゼスは冷たい表情をしたまま立っていた。

「なぜ、どうして……、っ!」

 酷く冷たい顔をしたまま立っているゼスの背後に見える、黒い何か。
 腰の下まである長い髪。耳も人間とは思えないほどに長く、そして背には大きな翼を生やし——

 男性が自分の中にある記憶と一致する人物。それはこの街を亡国の姫と創り上げた、魔族の王の姿。

 まさか、ありえないと男性は呟きながら、後ろによろける。
 光を失った紅の瞳が暗闇にゆらりと光り、その瞳を持つゼスの腕に巻き付いている紐を、彼は短剣で切り裂いた。

「まさ、か……! お前は〝数多の魔を従える者(ベリテル)〟!」
「……本当に五月蠅い奴だ」

 苛立ちすら感じているゼスはその場を蹴り、ひらりと浮く。
 あいつを自分に近づけてはならないという考えに至った男性はステッキを構え、ゼスの短剣をそれで受け止める。金属同士の擦れる嫌な音が響き、重い音を響かせてふたつは離れた。
 反動でまたよろけてしまった男性が体勢を整えようと動けば、ステッキの先に付いている宝石が、ぱりんと割れる。

「なにっ……?!」
「これでもう、喚べないだろう」

 ぎりりと顔を歪める男性が声に反応して前を見れば、ゼスの姿が消えている。
 辺りを探すが、姿は見えない。警戒をしたまま視線を動かした時、耳に入る床に散らばる窓硝子の割れる音。
 そこかと男性がステッキを突き立てたが、空気を裂いただけだった。

「遊びは終いだ」

 ゼスの声が男性の背後から聞こえる。あいつは後ろにいると、男性が振り返ろうとするが、ゼスがそれを許さなかった。

「——な、ん、」

 痛みを感じ、小さく呟く男性の左胸には銀の短剣——【蒼い涙の姫君(ラズリティーラ)】が刺さっている。
 ただのなんでもない短剣だと思っていたが、その正体を間近で見た男性の顔が酷く歪んでいく。

「どう、して……どうして魔族であるお前にこれが使える?!」

 答えを聞くことも許されない。ゼスが小さく呟くと、短剣の蒼い液体がこぽりと鳴り、男性の体を侵食する。ぱき、ぱきりという、体が形を保つことができなくなる音と、男性の醜い叫び声が響き、男性は跡形もなく消えた。

 操る主がいなくなった死霊たちは、ゼスの体に触れたことにより、もがき苦しんだまま遅れて姿が消える。

 それを確認すると、ゼスは床に突き刺さる短剣を拾い上げた。

「……彼女の加護があるからだ」

 消えた男性にはもう聞こえないだろうが、先程の答えをゼスは冷たい表情でぽつりと呟いた。


2025.02.27

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