第1幕 第05曲 「なにも、できない」
「それでは、よろしくお願いします」
ぺこりと女性は頭を下げて帽子を被り、子供の手を引いてなんでも屋を後にする。
暗い雰囲気のふたりをゼスとルティナは見送り、辺りの日が沈み始めていることに気がついた。
「もうこんな時間なんですのね」
夕飯は何にしましょうか、と呟く彼女。表情は穏やかだが、内心は穏やかではない。それをゼスに悟られないように必死でひた隠ししていたが、彼は見抜いていた。
ぽん、とルティナの頭に大きい手が触れる。
「ルイス……?」
無言のまま何度もその場を撫でる。
そんな彼の行動にじわりと滲んでいく蒼い瞳。
「お願い……、どうかあの子を、どうか——」
助けて、と小さく紡がれる
震える白い手に大きい手が触れて、ぽつりと聞こえること。
「……必ず助けるとは約束出来ないが——」
声にばっと上を向く。見えた表情は、彼にしては穏やかなものだった。
「なにか、考えがあるの?」
「上手くいくかは、分からないがな」
不安を感じている彼女の頭を撫で続けながら呟く。
やがて落ち着いたルティナが「そんなに撫でられると、ぐしゃぐしゃになってしまうわ」と小さく言った時、ゼスが行動を止める。
そのまま彼女をじっと見つめて、姿を見せ始めていた小さい雫を自身の指で拭った。
そして、ルティナに約束をするかのように、自分の指を濡らした雫に口付けた。
「ルイ、ス」
「お前に泣いてもらえるなんて、あの子供が羨ましい」
「羨ましい、って……」
「ただの独り言だ」
気にするなとそっけなく呟き、ゼスは部屋の中へ入る。彼に撫でられた頭に手を添えて、ルティナは微かに頬を染めた。
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暗く静かな部屋でひとつの音が響く。金属の擦れる音が聞こえ、音の元をゼスは見つめていた。
(そろそろ補充してもらわないと)
優しく撫でた先、銀色をしている短剣の中心には蒼い液体がゆらりと揺れている。
(使う事は無いだろうが、こちらも念の為に持って行くか)
銀色の短剣の相方も手に取れば、その紅い液体もこぽりと鳴った。
対を成すふたつの短剣——銀色を放つ【
願うならこのふたつを使う機会がないことを。
そう思いながらゼスは静かにふたつの短剣を自身の脚に付けているナイフホルスターへ仕舞った。
「ルイス……」
ふと聞こえる自分を呼ぶ声。音に振り返れば、ゼスの部屋の入り口に佇むルティナがいた。
「どうした」
そっけなく返せば近づく足音が聞こえる。音はゼスの目の前で止み、不安そうな瞳が見えた。
「あの……わたしも連れて行って」
言葉に驚くが、すぐにため息へと変わる。未だに不安の色を纏う彼女を安心させるように、ゼスはルティナの頭に触れた。
「〝悪魔憑き〟の依頼は危険が伴う。大人しく此処で待っていろ」
「でも……っ! わたしもあなたの力になりたいの」
お願い、連れて行ってと再び呟きながら、ルティナはゼスの体に縋り付く。
俯いているため表情は見えないが、体が震えている。きっと泣いているのだろうとゼスは思い、彼女をそっと優しく抱きしめた。
「っ……! いや、なの……もう、なにもできないのは……」
「ルティ、」
彼女の名前を優しく呼ぶが、震えは止まらない。
止めどなく溢れるものに、自分まで泣き出しそうになる。自分の涙などすっかり枯れてしまったと思っていたゼスは、そうなりそうな自分自身に驚く。
安心させようと頭を何度も優しく撫でるが、ルティナの様子は変わらなかった。
「大丈夫だ。俺が何とかしてみせる」
不安になりながら、涙に濡れながら上を向けば、酷く穏やかな表情が見える。
(ああ、ルイスのこの顔、は——)
遠い昔にも見た
いつだって不安な気持ちを抱いていた自分へ、彼から優しくかけてもらったもの。
彼のこの表情を見ていると、詳しく言葉には表せないが不思議な気持ちに包まれる気がした。
ルティナはゆっくりと腕をゼスから離し、少しだけ距離を空ける。
涙に濡れた顔はそれでも笑い——
「いってらっしゃい。ルイスの無事を祈っているから」
だから早く帰ってきてね、と続け、ゼスの左手を取る。そのまま顔を寄せて、ゼスの左手薬指に口付ければ、ふたりの体が微かに蒼く光った。
「あなたに加護を」
優しく呟くルティナをゼスは再び腕の中に抱いて言葉に応えた。
「ありがとう、行ってくる」
震える小さい背中をひと撫ですれば、その体は静かに離れ、ゼスは部屋を後にする。
ぱたりと部屋の扉が閉まれば、蒼い瞳は彼の名前を呼びながらまた一雫を流した。
2025.02.20