第1幕 第01曲 「なんでも屋」

 しゃ、と豪快な音が部屋に響く。
 続けて眩しい陽の光が青年の目蓋に降り注ぎ、朝が来たことを告げていた。

「あら、ルイス。起きたんですのね」
「……誰でもそうされれば、嫌でも目が覚める」

 ルイスと呼ばれた青年は白と黒の不思議な色をしている髪の隙間から、光を灯さない真紅の瞳を少女に向ける。彼は不機嫌そうに顔を歪めながら、むくりとソファから起き上がった。

 なぜソファで寝ているのか、と部屋のカーテンを開けた少女が問えば、彼の代わりに部屋中に散らばっている書類たちが答えを示した。

「また夜遅くまで調べ物をしていたんですのね」
「……」

 言葉を発しないまま、自分の体の上にある書類を手に取り、目を這わせる。
 そんな彼に顔を歪めてから少女はまた盛大な音を立てて、部屋の窓を開ける。そうすれば優しい風が、高い位置でふたつに結われている彼女の長い白髪(はくはつ)を揺らした。

 「いい天気」

 春独特の柔らかい風を頬に感じ、ぽつりと呟いた彼女の瞳に映る、ぺこりと頭を下げるモノ。外にいるそれに少女は笑いながら挨拶として手を振る。

自動人形(オートマタ)……かあ」

 【自動人形(オートマタ)】——それは〝魔王と亡国の姫〟が創ったとされるこの街「ザルクガング」で「マスター」と暮らす、機械仕掛けの人形のこと。
 人々の暮らしをサポートして助けてくれたり、寂しい時は話し相手になってくれて心を癒してもくれる便利なモノだが、原材料に貴重なものを使用しているため、生産数が圧倒的に少ない。
 その貴重さから闇市にて高値で売買されることもある、高価な貴重品のひとつ。

 頭を下げた自動人形が顔を上げれば、どこか笑んでいるようも見える。それに少女が微笑み返した時、背後から機嫌の悪い声が飛んできた。

「書類が飛ぶ、窓を閉めろ」

 そんな声を出した青年に顔を歪めてから窓を閉めて彼に近づき、書類をさっと取り上げる。
 青年が驚いた顔をする隙も与えず、腰に手を添えて上半身を前に倒しながら、ずいっともの凄く圧を感じる顔を近づけた。

「熱心なのはいいことですけれど、そんなに根つめていると、いつか倒れてしまいますのよ」
「返せ」

 嫌だと少女が顔を背けた時、微かに玄関ドアをノックする音がふたりの耳に届く。書類を見たまま、音に嫌な予感を感じて歪められる青年の顔には触れないでおこう、と蒼い瞳が玄関ドアを見つめた。

「あら、お客様かしら」

 取り上げた書類を近くのテーブルに置き、扉に近づく少女。そんな彼女を青年は後ろから捕まえて、腕の中に閉じ込める。

「……ルイス? どうし、」
 後ろから小さく呟く声が聞こえる。それは「放っておけ」という言葉で、少女は顔を歪めた。

「また面倒だと思っていらっしゃるんですの? ()()があなたの望むものだったら、どうするの」
「あれは、簡単に見つかる筈がない」
「でも、」

 言うことを聞かない少女を、彼女の名前を呼びながら手を取る。そのまま彼女が逃げられないように、するりと青年の指が少女の指と絡められた。

「離してくださいな」
「ルティ、」
「離してくださらないのなら、今回の依頼()猫探しだった場合、わたしは行きませんわ」

 それは彼にとってとても困ること。
 ため息を吐きながら、青年は彼女を自身の腕の中から解放した。

 

-*-*-*-

 

「お待たせいたしました」

 キイ、と音を立てながら扉を開けば、立っていたのはとても小さい男の子だった。目元には涙を浮かべ、それが今にも零れ落ちそうなほど大きい。

「あら、どうしたんですの?」

 優しく声をかけながら体を折り曲げる。ポケットからハンカチを取り出し、止めどなく零れる涙を拭えば、ぽつりぽつりと言葉をこぼし始める震えた小さい口。

「ねこ、」
「猫ちゃんがどうしたんですの?」
「いなく、な、ちゃ……」

 そこまで話してぼろぼろと泣き始める。それだけで彼がどうしてほしいのかがわかった少女は、優しく声をかけながらポケットからまた何かを取り出そうと探り出す。

 そして取り出したモノの包み紙をかさかさと解き、中から姿を見せたのは彼女の瞳のように綺麗な青い飴。

「大丈夫ですの。お姉さんが見つけてあげるから」

 本当かと呟きながら彼女を見上げる瞳は、不安の色を纏っている。そんな少年の口に飴をくっつけて柔らかく優しく微笑む少女。

「ええ、信じてくださいな。とりあえず、これを舐めて元気を出して」

 こくりと頷いてから、飴を口の中に入れる。

 ころりと口の中を転がる甘い飴は、濡れた心を包み込むような優しい味がして、少年の顔から少しだけ曇りが晴れた。

 

-*-*-*-

 

「少し話を聞かせてほしいのですが」

 少年の手を取りながら部屋の中にふたり並んで入る。ソファからはみ出して見える長い脚に、部屋に入るなりそれを一番に見てしまった少年の身体がびくりと跳ねた。

「……客か」

 書類から目を移さないまま青年が声を出せば、声色の怖さに少年はぶるぶると恐怖で震え上がり、瞳にはまた雫が姿を見せる。

「ルイス、怖がらせるんじゃありませんの」

 あれは置き物と思ってくださいな、と少女は続け、少年を違うソファへ案内して、そこに座らせた。
 優しく微笑みながら「少し待っていてくださいな」と呟き、部屋の奥へ消えていく。青年の怖さに少年はソファに座った後もかたかたと震えていて、お姉ちゃん早く帰ってきて、と何回か心の中で唱えていた時。

「お待たせしました」

 優しい声と共に現れた少女の手の上には柑橘系の明るい色をしたジュース。
 彼女はそれを少年に渡した後、向かい側にあるソファに腰掛けた。

「それで訊きたいことですけれど、猫ちゃんの名前と毛の色、あと……あれば特徴を教えてほしいの」
「なまえはみぅ……、けのいろ、は……しろで、とくちょう……?」
「見た瞬間に、『あっ、みぅだ!』ってわかるポイント……と言えばわかるかしら」

 言葉に少年は更に悩んでしまう。
 そして何かが浮かんだのか、しばらくして再び言葉を発した。

「せなかにね、まぁるいくろがあるんだ」
「丸い黒?」

 そうここらへんに、と自分の背中を指しながら教えてくれる。それで充分だと少女は優しく微笑んだ。

「では探しに行きますか」

 立ちあがろうとした少女のことを少年が呼ぶ。
 仕草から何を訊きたいのかがわかった彼女は、自分の手を自身の胸元に寄せて、ふわりと優しくまた微笑みながら宝石のように綺麗な蒼の瞳で少年を見つめた。

「わたしはルティナ。あなたのお名前は?」
「ぼくはルキ……」

 とても良い名ですわ、と笑う彼女に、少年ことルキは、また泣き出してしまった。
 自分が何か悪いことでも言ってしまったかと訊くが、首は横に振られる。

「ちが……こ、なの、だれも、きいてくれな、って……おもっ、」
「そんなことないわ。ここは——『なんでも屋』はそのための場所ですもの」

 涙で濡れてしまった顔を上に向ければ、見えたものを眩しく感じて瞳を瞬く。涙の跡を消すように優しくなぞる手は白い布に覆われていて、彼女の雰囲気とは違い、どこか冷たい感じを覚える温度だった。

「——というわけで、ルイス。この子のこと、頼みましたわよ」

 盛大なため息が返事として間を待たずに聞こえてくる。

「お前はどうするんだ」
「わたしは猫ちゃんを探してきますわ!」

 青年の気持ちを無視したまま、依頼にやる気満々のルティナは走って部屋を出て行く。

 たった一回、目蓋を動かしただけなのに、姿はもうない。

 部屋には男ふたりが残り、片方の男——青年がまた深いため息を吐けば、身体を再び震え上がらせる少年。その姿に紅い瞳が僅かに陰りを帯びた。

「……暫くしたら彼女は帰ってくる。お前はそれでも飲んで待っていろ」

 それとはなんだろうと考え、少年の前に置かれたジュースが目に入る。これのことか、と先程の言葉を理解し、水滴が付いてしまったジュースを口に運んだ。

「おい、しい」

 ぽつりと小さく独り言を漏らしただけなのに青年には聞こえたようで、「そうか」と素っ気なく返される。

「あの……るいす、おにいちゃん」
「ゼスだ」
「え……?」

 声が少しだけ怒りの色を纏っている。なぜそうなのか理解ができない少年の顔色が曇っていく。
 不安になりながらゼスと自らを名乗った青年を見つめれば、まるで魔物を見た時のような恐怖に支配されて動けなくなる小さい身体。

 書類の隙間から見えた(あか)の瞳は、光を灯さず濁っていて——

「俺の事はゼスと呼べ。ルイスと呼ぶ事は……彼女以外許さない」

 体を起き上がらせ、「解ったか」と有無を言わせないような酷く冷たく響いた声に、怖さのあまりルキは再び涙を流す。
 泣いていたらまた怒られると思うが、涙は止まるところを知らない。

 ぎゅ、と自分のズボンを握り、その小さい手に数滴の雫が落ちた時、部屋の扉が大きな音を立てて開いた。

「みぅちゃんを見つけてきましたわ!」

 頭に木の葉を付けて、顔と服は泥だらけで真っ黒。髪の毛も乱れていて見るに耐えない姿をしているが、顔は満足そうに明るいルティナが派手に開かれた扉の前に立っていた。

 にゃーという小さい声に、彼女の腕に白い猫がいることをルキが気づき、涙が一瞬だけ止まる。

「みぅ!」

 自分のご主人様の声を聞いた白猫は、ルティナの腕から飛び出してルキの腕の中に飛び込む。
 また会えてよっぽど嬉しいのか、それとも泣いている自分の主人を慰めたいのか、みぅは不安げな鳴き声を出した後、ぺろぺろとルキの頬を舐めだした。
 くすぐったいよ、と言いつつも、ルキの表情は格段と明るくなっている。

「よかった」

 涙が先程のものとは違って嬉しいものへ変わったことを確認して、顔を優しく歪めながら笑むルティナ。そんな彼女をじとりと見ているゼスが、言葉に表せないほどに酷い顔をしていた。

「なんですの、そんな顔をして。こんなにも感動的な場面なのに」
「……自分の姿を見てみろ」

 そんなに酷いかと訊けば、首は縦に振られる。
 頭に付いた葉を取り、それを指でくるくると遊びながら、またじとりと見つめる真紅の瞳は何かを言っていた。

「その目は何か言いたげですわね」
「こんなにも酷い姿になるのに、何故猫探しの依頼を何度も受けるんだ……と思っただけだ」
「そんなもの、決まっているではありませんか」

 汚れることを厭わず、そこに依頼人の望むものがあれば、むしろ飛び込んでいく彼女。

 顔は嬉しそうに、そして誇らしそうで。

「依頼人の笑顔が見たいんですの」

 胸に両の手を寄せて紡がれた言葉に、暖かくて柔らかな春の陽(ひかり)が彼女を照らした。


 今日も「なんでも屋」には、様々な依頼が飛び込んでくる。
 なんでも屋を営み、依頼人の願いは名の通り、〝なんでも〟叶えてくれるふたり組。

 その名は青年ゼスと少女ルティナ。

 さて、次の依頼は——……


2024.10.15

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